こんにちは。
私は幼稚園・小学校・中学校と父親と祖父母から暴力と暴言を浴びるようにして育ってきましたが、その間辛かったのは暴力や暴言だけではなく長期の休みでした。
・長時間暴力を振るわれるだけではない
私の家は暴力を振る父親と祖父母、パートで朝から晩まで働いていた母親。弟と私の6人で住んでいました。
弟は可愛がられていましたが私は毎日暴力を振るわれていました。しかし事は暴力を振るわれるからつらいというだけではありませんでした。
・休み明けを想像してしまう
長期の休み明けでなくても、いわゆる土日の休み。クラスの誰かが言います。
「家族で○○に行ったんだ~~」
「○○してきたんだ~~」
夏休みが終わればどうでしょうか。
旅行に行った、遊びに行った、遠く離れた親戚の家に行って遊んでもらった、何か買ってもらった、楽しかった。
友達の居なかった私は直接友達から聞くことがなくとも、クラスや学校全体でそういう話題で持ちきりになるのがただただ辛かったのを覚えています。
・日記が書けない
夏休みの宿題の定番である日記。
各教科の宿題は自分で頑張って解いたり、進めたりすることは出来ましたが日記は書くことが出来ませんでした。元々何処かへ出かけたこともほとんど無く、毎日お父さんが自分を殴ってきますとも書ける訳もなく、小学一年生の時は書かずに提出しましたが、こっぴどく怒られてそれ以降は下手くそな想像で書いて提出しました。
・ご飯がない
学校があれば温かいご飯がお昼に食べられる。しかし休みとなれば、父親はこう言いました。
「学校が無いんだからお前は飯なんて要らないだろ。バカに出す飯はない」
そう言われて朝はおにぎり一個、昼は何もなし、夜は自分で作るかパートから帰ってきた母親に作ってもらうかでした。
実際の所、くたくたになって帰ってきた母親にご飯を作ってもらうのが辛くて、料理は下手でしたが家族全員分作ることが多かったです。
これは長期の休みだけでなく、年間を通してずっと料理を作り続けました。下手だと父親がテーブルから作った料理をひっくり返します。
・何より寂しい
友達は居なかったけど、学校があるときは小中高と例外なく先生達と仲良くなりました。それで色んなムダ話に付き合ってもらいました。きっと、楽しかったんだと思います。
それ以外では学校があるときは図書室にこもっていろんな本を読んでいました。
長期の休みとなれば、このどちらも無くなってしまいます。寂しかった。
もう基本的には暴力や暴言からは遠ざかった私。当時どうすれば良いのか分かりませんでしたが、今の私でもどうすることも出来ないし正解は分かりません。
この記事が読んでくださった誰かのお役に立てたら幸いです。